戦後70年記念「玉の火薬庫」 一般公開
東洋一と呼ばれた旧陸軍火薬庫跡
関ヶ原には、関ヶ原の戦いの舞台としてこれまで紹介したように数多くの史跡が点在していますが、もう一つ別の史跡、旧陸軍が使っていた「玉の火薬庫」跡があります。
大正3年から終戦までの約30年間、関ヶ原町玉地区に周囲約6km面積450haと東洋一最大規模の火薬庫が作られ使用されていました。東海道本線に近く交通の便もよい関ヶ原のこの地区は、付近に民家もなく、また地形的にも小高い山が点在しており土塁の構築に適していたからだそうです。植栽し山林のようにカモフラージュされていたため終戦まで一度の空爆も受けず、監視兵が常駐したとされる立哨台や洞窟式火薬庫などいくつかが当時のまま残されています。
このたび、戦後70周年を迎え、関ヶ原観光協会を主体に多くの人に貴重な火薬庫跡の存在を知ってもらいたいと整備され7月11日より一般公開されました。今まで見られなかった火薬庫内部をパネル展示や解説付きでご覧いただけるようになりました。
7.5 中日新聞掲載
散策の際は下記手作りMAPをぜひご活用ください。